<息子の受験日記 前編>
 あれは太郎(仮称 我が家の1人息子)小学3年生の時のことである。私が転職することになり、10年暮らした四国を離れ、 広島で働くこととなった。川がきれいな町というのが第一印象であった。新しい会社の近く、広島市の外れにあるマンション を探していたが、子供の教育の為、もっと都心部がいいと妻。結局、ボロではあるが、広島市内の電停近くのマンションに転居 することになった。この幼い子が、これから受験という試練に立ち向かっていくのか。ずっと幼いまま、かわいいまま、本人に は失礼だが「かわいいぺット」のままなら、それならそれでも良いのにと思った。
 太郎の成績は中の上程度、おとなしくて目立たない子だった。取柄といえば良く食べ、良く眠ることであった。習い事はスイ ミングスクールと囲碁。広島は囲碁の盛んな土地である。頭のトレーニングになればと思い習わせた。私も囲碁をたしなむ。 以前に見た古い日本棋院有段者の名簿を思い出した。医者・弁護師・会社役員。正直驚いた。世の教育ママに見せたら大半が考 えを改めるのではないかと思うほど、その有段者名簿はすごかった。お隣韓国の囲碁人口比率は日本の5倍。教育としての囲碁の 地位が確立されている。しかし、学習塾、スイミングスクールと子供なりに忙しい中、残念ながら囲碁はやめることとなった。 男の子なので学問とスポーツ以外はこの競争社会では我慢せざるを得ない。この幼い子がいよいよそんな競争の世界に入ってい くのかと思った。
 親の気持ちに反し、ゆとり教育の中、太郎はゲームなどに熱中しながら、すくすくと育ち、小学6年生になった。家は(自称) 中流家庭のため、普通に地元の公立中学へ進学と思っていた。家計のことも考えると理想の進路は地元の公立A高校から広島大 である。広島大学は旧帝大ではないが中国四国地方では他の国立大より1ランク上とされる。A高校はクラスで5番以内でな いと入れない。広島大学はその中で上から3割くらい。太郎はクラスで8番くらい。
 広島では広島学院の他いくつか私立進学校はあった。しかし、私立中学受験は一部の人という感じであった。そうした中、 妻が私立中学はどうだろうか、と言ってきた。トップ進学校は無理でも、どこか入れるところがあればどうだろうかとのこと。 最初はとんでもない話だと思った。しかし、よく考えてみると、中高一貫校というのは理にかなっており、勉強の効率が確か に良い。早目のカリキュラムで進む中高一貫高なら高校3年の最終年は受験に専念できる。高校受験の失敗で、やる気をなく し、ダメになる子は多い。はたして、この子がA高校に入れるだろうか。クラスで8番から5番無理な話ではないがやはり 難しい。今の状況で判断すれば、真正面からA高校をめざすのは得策でないように思えた。第二グループの私立中学でも、 どこか入れるところがあれば3年後の高校入試で冒険するよりいいのではないか。A高校より多少下でもそこそこのの 中高一貫高に行ければいいのではないか。冒険を避け、ほんの少し優越感をもって、6年間無事に机に向かうことができれ ばその方が良いのではないか。息子自慢の恵まれた親とは違う判断も必要かと思った。ここは安全策。大切なのは6年後の大学入試である。かくて決心の末、通学の楽な私立B中学を受験させることにした。
 初めての入学試験に合格してあどけなく喜ぶ顔がいまでも忘れられない。超一流校ではないが、なんとか進学校の部類に 入る。B中学は一学年200人程の高校で広島大には毎年30人程度入っている。
 太郎高校一年生。相変わらず成績は中の上。二年で文系・理系が分かれるので進路をきめないといけなかった。文系だとどうか。 理想は言うまでもなく地元の名門広島大学である。しかし、難しいであろう。といって経済的な事情もあり、遠くの私立には 行かせられない。とすれば、近くの国立大。岡山大か香川大の経済学部くらいかと考えていた。無理なら県立尾道大か 地元私立の修道大。理系の場合も、もちろん理想は広島大。無理なら公立の広島市立大。 私は香川大経済学部(旧高松高商)にいければ良いと思っていた。こだわるつもりは無いが、私は旧高商系国立大学 経済学部の出身である。良い大学だったと思っている。昔は就職の良さなどが言われていた。友人を見渡しても皆 それなりのところに就職し、それなりの暮らしをしている。実際一流企業に入れる確率も広島大となら互角だったと思う。 それと広大と同じで地元地銀や官庁などで確固たる城を持っている。また国立大法学部の無い県だったので、経済学部 でも2割が公務員になっている。妻は私とは意見が違い「文系なら都会の大学。」と思っていたようである。たしかに それは一理ある。しかし、私は一浪までで香川大経済なら万々歳、という気持ちで太郎をを文系に進ませた。
<反省>
 この時点でしっかりと各大学の難易度や現状を把握しておくべきであった。後で知ったが、地方国立大は学費の値上げ などで、現在は人気が無くなっており、昔のような権威は無くなっていた。香川大経済は上場企業役員などには名を連ねる ものの伝統の影が消え、就職の優位性も無くなっていた。また、この時点で息子に明確な目標を与えてやれなかったこと。 これは父親として重罪であったと思う。  本人としては、広島大は無理だけど他に行きたい大学も見当たらない、という状態。なんとも目標の定まらない良くない 状態であった。
 高校3年になり、一つの転機が訪れた。太郎は地元のA塾に行き始めた。以前から私は図書館に行って勉強することを進 めたが、これも少々時代遅れであった。自転車で5分のその塾の学習室は使い安く、勉強の環境としては最高のようだった。 新たな刺激になったのか、見違えるように良く勉強するようになった。リズムをつかんだというか、目の色が変わってきた。 私は内心ホッとした。今まではどうであってもこの一年を頑張ってくれればなんとか将来の道は開ける。これなら、 広島大は無理でも、岡山大や香川大位なら行ってくれるのではないかと思った。
 夏の模擬試験。いきなり広大経済学部がC判定(合格可能性40〜60%)。正直我が耳を疑った。英数2科目だけの模試であったが、 紛れも無く広大の合格可能性(40〜60%)とのこと。残念ながら理科・社会を入れ5科目だと依然としてE判定( 合格可能性20%以下)。しかし、主要科目である英数で点が取れていた。あと半年あればもしかするかも。いきなりの 朗報に妻と私は期待に夢膨らませた。
 十八の夏は短く秋の模試。突然広大がA判定(合格可能性80%以上)。まぐれで数学ができたとのこと。しかし、 まぐれで広大A判定がでるだろうか。ここで初めてわが子の非凡な才能を感じた。A判定はあくまで2科目の模試で、 5科目では依然としてE判定であった。しかし、広大経済学部は完全に射程圏内に入った。太郎は必死で理科・社会の 追い込みにかかっていた。本人は地元の私立大には行きたくないということであった。一浪覚悟で広大を受験するつもりでいた。 私達もそう思っていた。
 年が明け私達は合格祈願のため尾道御袖天満宮にいた。私と妻は必死の思いで両手を合わせ合格を祈願した。広島大学に 受かりますように。夢。太郎が幼い頃からおぼろげに描いていた夢。それが、かなうかもしれない。50年の人生の中で、 自分のこと以外でこんなに真面目に神に祈ったことはなかった。
 そして運命のセンター試験。太郎の報告では少し良くなかったとのこと。自己採点は680点。テレビやネットで全国の 塾が一斉に合格ラインを予想する。広大経済660点。アドバンテージ20点。個別試験は得意の英数。安全圏と言っ ても良いくらいである。かくて前期・後期とも広大経済学部受験ということで決定した。 2月25日。広島大学経済学部前期試験。人生でもっとも大切な日。テレビのニュースで何回も広島大学が映った。 しかし、帰宅した私を迎えたのは笑顔ではなかった。数学が今一歩だったとのこと。とにかく、すぐに後期試験(小論文) の勉強を始めなければならない。
 3月8日。運命の合格発表。朝から仕事に身が入らなかった。くしくも仕事で広島大の前を通ったのでなおさらであった。 時計ばかり何回も見た。しかし、私達の夢はかなわなかった。残念ながら、広大は不合格であった。 しかし、本人は悲しむことすら許されない。2日後に後期試験が迫っている。この苦しさは二十歳前の子どもにはなんと 酷なことだろう。文部省役人はエリートなのでこの苦しさは理解できないのではないかなどと思った。3月10日広大後期試験。 しかし、ここでも笑顔は見られなかった。無情にも不合格であった。 あっという間に浪人生活が始まった。来年がある。今の学力なら一年がんばれば間違いなく大丈夫。しかし、その考えは甘かった。 ギリギリ落ち(後でわかったが1700点満点で3点不足)だけに、ダメージが大きく、本人はかなり落ち込んでいた。 目標を失い完全なスランプ。その子の性格によるだろうが、まったく勉強できない日が続いた。浪人のスタートをきる 大切な時期に最悪の状態に陥ってしまっていた。私もどうしていいかわからなかった。
<反省>
後期試験をなぜ無謀に広大を受けさせたのか。広大の後期試験は他と比べてもかなり難しい。ましては受験科目の 小論文を太郎は何もやっていないし、苦手である。国立大受験は現役・浪人で計4回しか受験チャンスが無い。 そのうちの一回を合格可能性が0パーセントに近い広大経済後期を受けさせたのは大失敗であった。よく受験のことを 調べていたら他に受けられるところはあった。後で考えれば横浜国大経営学部なら狙えた。横浜国大は以前超難関大学 であったが、現在はかなり易化しており、しかも試験科目は英数2科目である。英数の得意な太郎なら狙えた。広大の方が 横浜国大より、難しいなどということは私の世代には信じられないことである。下宿代はしかたないが、太郎の将来 を考えれば受けさせるべきであった。横国が無理でも他にいくつか受けるところはあった。可能性0%の受験をさせて しまったのは失敗であった。
 しかし、後で思ったことである。太郎は知っていたのかもしれない。いや、知っていたのではなかろうか。後期試験は 広大受験が自分にとってベストでないことを。敢えて言わなかったのではなかろうか。なぜなら私達夫婦の夢は地元 広島大だったから。
                               後編へ

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